武島羽衣(たけしま はごろも) 1872-1967 作詞
春のうららの隅田川
のぼりくだりの舟人(ふなびと)が
櫂(かい)のしずくも花と散る
眺めを何に喩(たと)うべき見ずやあけぼの露浴(あ)びて
われにもの言う桜木(さくらぎ)を
見ずや夕ぐれ手をのべて
われさしまねく青柳(あおやぎ)を錦織りなす長堤に
暮るればのぼるおぼろ月
げに一刻も千金の
眺めを何に喩(たと)うべき
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瀧廉太郎が21歳のとき、組曲「四季」の春の部にあたる同声二部合唱曲として作られました。
明治33(1900)年11月に発表された組曲「四季」は他に、「納涼」 「月」 「雪」 からなっています。
当初の題名は「花盛り」でしたが、出版に際して「花」 と改題されました。
独立した演奏会用の歌曲としては日本最初のもので、組曲も日本人創作の詞に西洋音階によって日本人が初めて挑戦した、芸術的にも評価の高い音楽作品です。
百年を過ぎた今でも 「花」 のピアノ伴奏部は極めて美しく、瀧廉太郎が<日本のシューベルト>といわれる所以がここにあります。
隅田川沿いに爛漫と咲くさくらの美しい風景をうたった歌詞の1番は 「源氏物語」の「胡蝶」の巻で、六条院の宴で舟にのった女房の歌、
「春の日の うららにさして ゆく舟は 竿の雫も 花と散りける」 から採られており、2番以降もそのあたりの文面を連想させます。
作詞者の武島羽衣は歌人として知られていますが、東京音楽学校をはじめ、いくつかの学校の教授を歴任し、彼の84歳の誕生日である昭和31年11月3日に、教え子たちが隅田川にかかる言問橋(ことといばし)に近い隅田公園に作詞者自筆の 「花」 の歌碑を建てました。
その2 |
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<昔の歌詞> さいた櫻 花見て戻る 吉野の櫻 龍田の紅葉 唐崎の松 常盤(ときわ)常盤 深みどり |
<歌詞その1> さくら さくら 弥生(やよい)の空は 見渡すかぎり かすみか雲か においぞ出(い)ずる いざや いざや 見に行かん |
<歌詞その2> さくら さくら 野山も里も 見渡すかぎり かすみか雲か 朝日ににおう さくら さくら 花ざかり |
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明治21(1888)年に東京音楽学校が出した『筝曲集』に琴の入門曲として載ったのが最初ですが、 曲そのものは古くからあり、もとは琴の音にあわせて歌う琴歌でした。
江戸時代は 『さいた櫻(さくら)』 という題名でしたが、『筝曲集』の編者が「さくら」に変え、 さらに昭和16(1941)年発刊の『ウタノホン(下)第2学年用』におさめられるとき、 歌詞が文語体から口語体へと変わり、『さくらさくら』 となりました。
『筝曲集』 発刊にあわせてメロディは新作されたといわれ、琴の糸の順序に従って奏でると、この旋律になります。
日本俗楽の陰旋法としてはめずらしく、暗さがなく、優雅で美しい純日本的な琴歌です。
プッチーニのオペラ 「蝶々夫人」 の第1幕、結婚式の場面に取り入れられたため、欧米でも有名になり、日本の代表曲のひとつとなりました。